誰かの光になれますように

じゃがいも植えたことある方なら当たり前のことかもしれません。

暗~い段ボールの中でも光の漏れる方向へ一様に芽を伸ばしている種芋を初めて見たときは命ってすごいなぁ、と感動したものです。

下の写真、左が種芋、右が光です。

10余年前のこと。夢も希望もなく、知らず知らずに辿り着いた教会で、ある日、NHKのドキュメンタリーに釘付けに。それは宮崎県にある「ホームホスピスかあさんの家」での介護現場の様子でした。制度は人を縛るものではなく、生活を豊かにするもの、死の際に命を取り戻している、テレビの向こうのおじいちゃんおばあちゃんと介護するスタッフの方々の姿がやさしくてまぶしくて、あの時の感動が今なお残っているのです。

そして、その光は、腐りかけていた種芋くんに命を取り戻させ、たくさんの小芋を結ばせようと土深く潜って、芽が生えてきたところでしょうか。この会社が産声をあげてから早一年を迎えるところです。

どんなに小さな炎でも燃やし続けていればどんなにくすぶっていようとも、いじけてじめじめした心でもいずれ乾き、発火点をこえると、一瞬にして燃え広がる。そんな話を初めて聞いたのがもう22年も前。

市原美穂先生。「暮らしの中にホスピスを」とお言葉を添えてサインもらっちゃいました。曰く「看取りは宗教よ」。うーん、さすがだー。

世の中には、べつに~、なるようにしかならなくね~、今楽しけりゃよくね~、とやりたいことやありたい姿を見つけられずに、くすぶっている人がたくさんいるんじゃないでしょうか。そんな人はたいてい感覚が鈍ってますから、わりと簡単に人様を傷つけ、自分まで殺して…。なんて偉そうに言ってる私がそれですから始末が悪いです。

ただ、光と思える存在に出会えること、心のどこかにそんな人の存在があれば、種芋の芽が勝手に伸びていくように、知らないうちにちゃ~んと神様が育ててくれているんだなぁって今、振り返るとそう思わずにいられません。

というわけで、このままいくと、勝手に育っていくんだから、どれ、きちんとお手入れして、いつか誰かの光になれますように。

万 益 舎

笑顔で「またね」といえる場所

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