名前が変わりました
「新しい生活様式」がすでに新しくなくなりあちらこちらでさらに新しい過ごし方をしている人を見て、人間の順応力、即応力は有事に光るなあ、と希望をもらいます
それにしても「家」も「とどまること」も忘れてしまった今の時代にステイホームとは!
皮肉の効いた冗談のようですが、そうでもしないと「家」にも「とどまること」にも縁のないまま・・・そんな人間のほうがキツい冗談かもしれません
なぜ「家」に「とどまること」が簡単でなくなってきたのか、キャンセルカルチャーのうねるような流れと源流は同じように見受けますが…
なにはともあれ、そんな人間らしく生きる力を取り戻すために、新型コロナウィルスが道を備えてくれたのかもしれません
数ある認知症の周辺症状(BPSD)の中でよくあるのが「帰宅欲求」(帰宅願望)
冷静に考えてみると、こんな欲求、だれでも持っています
保育園に預けられた子供にしてみても、いやいや、りっぱなの大人になったって、帰る時間が待ち遠しい、それは「症状」とは言わないでしょう
ではなぜ、認知症の帰宅欲求は「症状」なのか
それは脳に器質的な病変が認められた上で、認知機能の低下が見られ「帰る家」を認識できなくなっている、と医師によって診断されたからです
認識できなくなっているから、実際に家に連れて帰ったって「ここは俺の家じゃない」なんていう話は枚挙に暇がありません
しかし、脳に病変のない保育園の子供にしたって、認知機能の低下していないサラリーマンにしたって、物理的な建物の家に帰るだけが「家」というわけではないようです
母親のいない家に帰れば幼児は泣くでしょうし、大人なんて家より落ち着く赤ちょうちん
「家」とは、安心して自分が自分でいられる場所、自分で自分をよしとする場所、と定義することができるわけです
そう考えれば、脳に病変が見られても、認知機能が低下していても、安心して自分でいられる場所を「家」とすることができるのです
どこから来て、今どこにいて、どこに行くのか・・・
万益舎の「舎」には「仮のすまい」という意味があります
当たり前のことですが、ここは本当の家ではありません
どこから来て、どこに帰るのか、明快に答えられる人は今どこにいようと迷いがありません
その人は、自分をよしとしてくれる人の待つ故郷があるので、今どこにいようと安心です
介護という仕事は、そのこと(本当の「家」に「とどまる」こと)をよく考え、尋ねきわめるのには、非常に理に適った仕事であるのです
私たちスタッフは、日々研鑽を積み、専門性を磨いて昨日より今日、今日より明日、少しでも心を込めて、と仕事に励んでいます
それでも、認知症の方の悩みを取り除くことはできません
3秒前のことも忘れてしまうほど「今」を生き尽くしておられる先達の姿そのものに、慰め・憐れみを受けているのは、むしろ私たちスタッフの方です
そんな方々からの「ありがとう」は、流れ星のように瞬間的にスパークします
これが、今日より明日、一層心を込める力の源泉になっています
ケアの行き交う場所、認知症ホスピス万益舎は、そんな場所です
脳に病変もなく、認知症と診断されなくとも、私たちはみんな「家」が分からず不安や心配を抱えています
そんな今こそ「ステイホーム」安心して自分でいられる場所にとどまり、自分をよし、とし、内側から湧いてくる安心と希望で「今」を生き尽くす
私たちでも、どなたかの流れ星になることができるという希望があります
それは一朝一夕で出来ることではありません
私たちは、名前を変えた以上に、まずは自分たちが変化することを恐れず、実りある成長を求め、自分をよし、とした分、人様に心を込めてお仕えすることが出来るよう精進して参ります
今後とも、応援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます
2021年2月1日 一般社団法人リトリート 代表理事菅原慎司
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