バーディヤー - praying in September

ばーでぃやあああ!っという間に9月も晦日、今月は右のおばあちゃまの92回目の誕生会がありました。

ああああああ!っという間に「92歳」になってしまった、と言っています。それでも希望を大きく持って「100歳」まで命のある限り、とスピーチしてくださいました。

実はこの方、精神科から退院してきてここで「リトリート」しているおばあちゃまです。「リトリート」とは「退避・隠遁・隠れ家・黙想」などの意味のある「自分が本当の自分でいられる安心で安全な場所」という含みのある言葉。

人生の長い短いにかかわらず、一人では背負いきれない重荷をだれかに背負ってもらいたい、でもそんなこと誰にも言えない・・・そんなことを思っては自分を奮い立たせて、また思っては打ち消し、それでも時には負けそうになること、誰にでもありますよね?え、まさか俺だけ?まさか・・・、ね。

病気の捉え方は様々あると思いますが、万益舎では病気は「命から送られてくるサイン」と捉えています。認知症って理性が薄れていく病気です。今まで抑えてきた様々な未完の思い、誰にも言えなかった、誰にも分ってもらえなかった、そんな気持ちが、薄れていく理性のすき間から少しずつ、時にはどっとあふれてくる。

病気になってまで命が何かを伝えたくている・・・病気になってまで伝えないといけない何かがある・・・誰かが受け止めて、受け入れてくれるまで続くようです。

服薬、服用の語源は諸説あるようですが、「服」はあくまでもまとうもの、裸の自分、ありのままの自分を変える薬はありません。薬や服では隠し切れない、溜めに溜めてきた本当の自分はどうしても叫びをあげてきます。

この方が我が舎に来られて二カ月、ここは病院ではないので閉鎖病棟もなければ追加投薬もできないし拘束もない、できたってしませんけど。なもんですから、出るわ出るわ、来られた当初はいっぱい色んな抑えられてきた感情が言葉にならずに出てきました。

夜も日中も一人でいられない、電気は消せない、眠れない、落ち着かない、不安、恐怖、「たすけてけろー、たすけてけろー」・・・

今、薬を少しずつ減らして、夜も少しずつ寝ることができるようになっています。

科学的な根拠はいまのところ挙げられないし、いつか科学的に説明がつけばいいかもしれませんが、非科学的にだって、ご本人が落ち着くことができればいい、なんてちょっと乱暴ですかね、こんなご時世ですから☺

祈られている人の方が、そうでない人よりも病気が早く治る。という科学的な研究がアメリカであったそうです(出典は末尾にリンク)。

「たいせつなことはね、目には見えないんだよ…」

というわけじゃないけれど、昨日の夜は目を閉じて祈りながら床につきました。何が見えたんでしょうか、数十分後には目を覚まして、ここにいない人の名前を呼んでおりました。

しかし、非科学的なことを科学的に研究してくれる科学者がいるんですね。ありがたい!餅は餅屋、そんな科学者に少しでも早く「非科学」のベールが取り払われるよう、私は祈ります。

万 益 舎

笑顔で「またね」といえる場所

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